さみしいと、根っこ。
僕の自分が嫌いなところは
誰かが好きになってくれたりしている。
僕はナスが食べられないんだけれど、それと同じみたい。
悩みってそういうもの。
だいたいが人と人の間に横たわったり飛び石になっている。
密度も間隔も抱きつきやすさも渡りやすさもそれぞれで。
同じものを観ていても、大きさも温度もいつも違う。
楽しいは苦しいを、
苦しいは楽しいをよびよせる。
それは悲しい気もするし、すごくありがたいことだったり。
うら、おもて、でもないし。
みぎ、ひだりでもないのだけれど。
こわくもあり、ゆるせる気もする。
「なんで」と聞いたら、 ひとくちで「なんとなく」というひとがいい。
今日もよんでくれてありがとうございます。
それでもすべての根っこにあるのは「さみしさ」だって。