みらいのはなし1。

カワベユウコ個展 [mirai] に参加している
ぼくのみらいのはなし。

きょうゆうこちゃんと話のなかで、水差しの話をした。
ぼくは小学生のころ、絵がヘタで、
図工の時間がほんとうに嫌だった。

いろをつくるのも、筆に絵の具をのせるのも、
もうその段階でセンスがないから、
見るも絶えない悲しいものができていた。

とくにやるせないのは、
よくわからないままパレットにいろが溢れていて、
それをさらに洗い流したり、またつけたりを繰り返すから、
水差しがすぐに真っ黒になった。

それを手洗い場に流しにいくときのせつなさときたら。
排水溝にまったりとした暗雲みたいな液体が、
流れていきにくそうにしているのを、じっとみた。
そうして一瞬でまた、
またなんにもなかった顔の、黄色の水差しに透明がもどった。

絵のうまい子のパレットは、
部屋の区切りを無視して縦横無尽だった。
そして、水差しはすごい綺麗ないろをしていた。

もちろん、濁っているけれど、
きれいないろ。
あこがれのいろ、だったとおもう。

そんなはなしを、ゆうこちゃんにしてみたら、
「そんなのしらない」だった。
あたりまえというか、そんなの意識なんかしていない。

それがすてきだとおもった。
あこがれって、こういうことだ。

ぼくもしらないうちに、
そういうものを作り出しているかもしれないし、
そうでありたいし、もっと見つけたいし、
いま、そんな場所にいる。


今日もよんでくれてありがとうございます。

あの水差しの水だけで、なにやらすごい絵がかけそうだ。

そんなみらいのはなし。