矢面にまず。

新しいことをはじめること、
何かをかえること、
先頭を切って舵をとること、
いちばん大きな声で話すこと。

どれもみんな尊敬と嘲笑にさらされる。
ぼくのすきなひとは、そういうのを追い風にしている。

ひとにあれこれ言われるのは、いやだ。
できるならば、いつだって好かれたい。

でも、できるなら好かれたいを叶えるのは、
ひとにあれこれいわれなきゃならない。
それを黙らせるでもなく、
無視するわけでもなく、
毅然として受け入れられるひとだ。

みんながすきなひとは、いつも、
あるひとが嫌いなひとだ。
みんな、っていうのは器用なことばだなあ。


今日もよんでくれてありがとうございます。

それでも
みんな、のしあわせはいつも、
同時にはかなわないのだけれど。

服を着る。

着たい服にまよわない。

いまはある程度、じぶんの着たいものがあって、
いまはある程度、それにみあったお金をもって、
手に入れ、着ているわけだけれど。

中学生はそうはいかない。

そろそろ服の親離れをしたいころなんだけれども、
自由なお金はないし、
理想に見合った、現物がないわけだ。

行動範囲内の、これまた財源のゆるすかぎりで、
精一杯の背伸びをしていく。

着るもの、にどうしてもこだわれないから、
着かた、にフォーカスを当てるしかないのだ。

「シャツの一番上のボタンだけとめる」
「片方だけズボンの裾をまくる」
「首にカーディガンを暑苦しくまきつける」

そんなかんじだったかな。

塾で、その塾で一番のトレンドを、
早くも取り入れることで、図らずも、
「おしゃれなひと」というレッテルが与えられていた。
それがどうしてか嬉しかったような。


今日もよんでくれてありがとうございます。

もともと特別なひとなどほとんどいない。
もともと特別なひとは、ナンバーワンだ。

自由。

いきものに自由な意思がない、っていう学説が
おもしろいなあって感心した。

「焼肉食べたいなあ」の感情や感覚は、
体が欲しているから。
「彼女欲しくないなあ」の現実逃避は、
種を存続できる能力と環境をいまは持っていないとか。

実は体と脳が判断していて、そこに感情が乗っかっている、
っていう考え方があるらしい。
じゆうに心赴くままに、生きているふりをしている。

ぼくはいやなことがあるときには、にたようなことを思う。
コントロールなんて、はじめからできないって。

お弁当屋さんにのり弁と唐揚げ弁当があったとして、
ぼくはどちらかを選ぶけど、
たとえのり弁を選んだとしても、唐揚げを選ぶ宇宙もどこかにあって、
なんかの理由で、どっちも買うことになる未来もあれば、
どっちも買わない未来だって、すべてのパターンの宇宙がある。

そんなふうなことを、
すっごく嫌なことがあったとき、想像する。
そうすると、それくらい、どうしようもない、
くだらない、取るに足らないことのように思えてくる。

だって、その宇宙は、ぼくにはえらべないもの。
今回ばっかりは、しかたないさ。
次に賭けよう。

ぼくはパチンコをしないけど、
たぶんそれともにているんだとおもう。


今日もよんでくれてありがとうございます。

だからこそほんとうに、
きみにあえてよかった。

きびだんご。

おみやげのきびだんごをもらった。
なかまにならなくては。

きのう、bookoffにちらっとよったら、
素敵なみための帯の広告図鑑がたくさんあった。
ほとんどが100円。

90年代後半のフォントやイラスト、写真がたくさん並んでいて、
わくわくするものばかり。
なかには気の利いた風刺もある。

声を荒げずにしっくりした言葉を探す。
それって、いいな。
ちょっと笑えるし、なんか気になる。
ちょっとせつない、なんか為になる。

ぼくもそういう言葉をみつけたい。
ぼくもそういう言葉ではなしたい。

いつだって
ボールを受け取るひと次第で意味は変わってしまうから、
それを追いかける必要はないんだけど。


今日もよんでくれてありがとうございます。

色褪せて見えていて、
色鮮やかに聞こえることがあるなら。

いろ。

すきないろはなにいろ?

ぼくはそう尋ねられると、なやむ。
そのときによって違うし、
よく考えないとわからないことがおおい。

いろ違いのものがあっても、
そのものによって変わってくるし、
これといって、公式はない気がする。

白、茶色、黒、緑、赤、からしいろ、碧、
一瞬想像しただけでそれくらい、浮かぶ。
どれでもいいわけではなくて、
自分なりに適材適所があるわけだ。

でもその法則は、なんともわからないくて、
じぶんでもつかめていない。
だから、こまる。

よく、ぼくのイメージのいろは
「紫」と言われることがある。
それはそれでぼくの全く身につけない、いろだ。
理由もまたつかめないけど、おもしろい。

すきないろも
すきなものもたくさんある。
だから買い物は楽しくなるし、
いろんなものひとに出会う備えができているような。


今日もよんでくれてありがとうございます。

あえていうなら白色だ。
たぶんあしたは違うんだろうけど。

こげた。

まいあさ食パンを焼いてたべる。
もちろん途切れてきた期間もあったけど、
小学校1年生の秋からそれは始まった。

ぼくはむかしたべるのが遅くてよく母親に怒られていた。
そのせいで朝食にあまりいい思い出はない。
月日は経ち5年生のときに母親より早く食事を終えたとき、
大人になれたきがして、反抗期がはじまるわけだ。

ちょっとカリカリ目に焼くのがすきだ。
さくさくしているほうがたべやすいからだろうと思うけど、
それを見た何人かの人たちは、美味しくなさそうって言う。
まあ、わかるよ。

でも、おこげって正義じゃない?
たべものも、ひとも、
気にしない一癖がちょうどよかったりするじゃない。
まあ、パンのそれとはちがうかもだけど。

だけど、もうひとついうなら、
それをぴったりさせるひとにはときめくよ。
それをぴったりにさせるものにはときめくよ。


今日もよんでくれてありがとうございます。

まいにち今週末よるはartyardにいます。
きっといい出会いがあるはず。

明るいけしき。

展示会がはじまりました。

「おひさしぶり」
「はじめまして」をくりかえすのは、
むずがゆくもあり、とってもうれしい。

前日に、ヒラシマ氏とともにレイアウトを済ませ、
ばっちしと、息巻いてかえり、当日をむかえました。
ほかの作家さんすこし早めに会場に入り、むかえる。

今回の作家さんたちも個性があって、親しみがあって、
どれも身に付けたいものばかり。
ええ感じです。
ぼくも女子のみなさんだとよかったんやけど、とおもうけど、
プレゼントなんてよろこんでもらえそう。

毎度のことですが、
あたりまえにあきることなく都度都度、
感動や感心があります。
もちろん、じぶんのつくっているものの話しもたのしい。
同じようなものを寄せてもらえることもおおくて、それもね。

展示会’pattern jam’は作家であり、お客さんでいられる、
ぼくにとっては特別で、おいしい居心地よしなところです。
オーガナイザーのトモミさんには感謝、です。

そういうわけで本日から展示会がはじまりました。
明日から、金曜日までまいにち無料で入場できます。
女性はいごこちよいです、
男性は女性をつれて、プレゼントにどうでしょう。


今日もよんでくれてありがとうございます。

しらせる。
といかけられる。
こたえあわせる。

かみあっていた。

歯車みたいに大小それぞれが均等にかみあっている。
ひとの場合はそうもいかないから、むつかしいとされている。

凹「おう」凸「とつ」
いくつかのでっぱりと、
いくつかのへっこみが、
からだじゅう、地球じゅうにある。
本人も把握しきれないところで。

だけど、自分と相手の凹凸を知ることは大事だ。
かみあわせるところを、きれいにかみあわせて、
おなじかたちのところは、より協力したりもできる。

ひととひとは掛けわせるのがむつかしい。
なかなか倍以上の力になることはないけれど、
きっとそういうひとと出会うだろうし、
いままわりにいるひとにも、あるはずだ。

そのでっぱりやへっこみに、なにをぴったりさせれるのか。
そのでっぱりやへっこみを、面倒だけど知っていたい。


今日もよんでくれてありがとうございます。

ぼくとせかいも、
ぼくときみも、
だれもばかにできないなあ。

家具をつくる。

ぼくは手作りの家具をつくっている。
今週の日曜日から金曜日まで”pattern jam”展示会がはじまるので、
そのための机とベンチを用意した。

家具のつくり手の顔がわかることってあまりない。
来場してくれるお客さんの顔に、
ぼくの作ったものを想像で自分の部屋に並べてくれているのを、
見たり聞いたりするのが、とっても嬉しい。

自分の手のなかで、ゆっくり暖めたモノが、
ほうぼうでゆっくりと愛される。
いつもそれ以上やそれ以下に逸れずにわくわくしています。

展示会ではお気に入りの碧以外にも、たくさん作家さんが集まります。
同じような色違いな情熱を持った方々の什器として、
可愛がってもらえるので、そういうレイアウトも素敵になる予定。

女の子が飛び込んでいきたい、
男の子にも飛び込ませたい、いいイベントです、是非。


今日もよんでくれてありがとうございます。

ぼくはたくさんのことができる。
だけどほとんどのことができない。
だけどやれることはぜんぶやりたい。
やればやれることを、やる。

1度なくした。

腕のなかで猫がころころ鳴らしている。

シェルターから赤ちゃんのころ連れてこられた。
どこで生まれたのかしらないけれど、育ちは僕の部屋。
あたらしい名前をつけられて困惑したかな。

その他15万頭が処分されている。
うちに来れてよかったって思って最後をむかえてくれるといいな。

ちいさいころからすごく元気で、
さいきんは「遊べよ遊べ」と言っていくる。
はじめからよく喋る猫だったけど、主張が激しい。
甘やかして育てたわけじゃないのに。

水をかけたりなんかして、嫌がらせしてやったら、
ちょっとはしょんぼりしてたみたいやけど、
やがて慣れてしまって、逆に楽しんでみてるみたい。

いまは背中のかゆさを訴えにすり寄ってきた。
部屋が広くなったら兄弟をさがしにいこうな。


今日もよんでくれてありがとうございます。

行き先がなくなることもある。
だれか迎えにくることがある。