秘密基地。

ひとのことなんて気にしないで頑張ろう。
とか言って、ひとのために働いている。
どこにでもある、フロイトなはなし。

必要のない新しいものだって試してみたいし、
ただ静かに受け継ぎたいものもある。

ぼくの原動力「つくりたい」の気持ちはたぶん、
子供の無力なきもちからくるものだとおもう。
これっぽっちの自由しかない、子供時代。
そのあいだにたっぷり蓄えていたのかな。

近所の川に石をあつめて橋を掛けたとき、
雨で跡形もなく流されてしまったそれをみて、
なんていうきもちになったのか思い出せないけど、
無力を思ったのは間違いなかったなあ。


今日もよんでくれてありがとうございます。

ぼくが求めているものなんて、
ただの秘密基地なんだっていう。

夢の住人。

この頃は夢の内容を覚えていれなくなった。

小学生や中学生のころには、たぶん、
もっと夢の内容を覚えていたし、
一度目が覚めても、二度寝して続きをみたりしていた。

もちろん、夢の続きには夢だと自覚している自分がいるから、
好き放題してやろうとする。

だけど急にとつぜん、夢に出てくる住人たちは、
そこから僕に「気付いてしまった人だね」
というような疎外感を出してきて、無視してくる。
せっかく夢を利用して、あれこれしたかったのに…
って、くやし切ない顔をして目覚める僕。

あとは、その好き放題しようとするんだけど、
夢のなかで、ある一定の角度に体を傾けると、
世界が白んでいって目が覚めそうになるとか、
感情的には美味しいのに、まったく味がしないパサパサなのを無心で食べていたりとか、
だいじにだいじに宝を握りしめていたら、枕の端っこだとか。
まあ大抵が残念な結末になっていたような。

とっても幸せな夢はそれはそれで、
現実にひきずりもどされた感があるし、
暗く悲しい夢はそれはそれで、
どっと疲れさせられるし。
どうせだったら覚えていないほうがいいのかなあ。

あの夢に気付いたときの、
自分のなかにいる夢の住人たちは、
どういう僕の脳の反応であんなふうに自作自演していたのやろう。

ふしぎ。


今日もよんでくれてありがとうございます。

夢をみている時間も現実。
うらもおもてもステップもプロセスもない、ひとつなぎ。

目的。

妹が進学か就職か悩んでいるらしい。
7つ下の19歳。

ぼくが小学生のころ、まいにち子守りをまかされていたのもあって、
妹はいまでも赤ちゃんの感覚があるというのか、
ほんとうに幼いイメージしかない。

いつのまにか形は大きくなっているんだけれど、
一緒に暮らしたのは彼女が11歳のころまでだったから、
なおさらなのかな。

バイトして学校して、仕事を語るなんてなんだろう、となる。
いま出来ることを、
いま精一杯好きなことを、
擦りあわせて一生懸命になればいいと思うよ、と言っておいた。

不安そうな、わくわくの顔をしてた。
子供は無力で、自由だ。
あれは、そういう表情だった。


今日もよんでくれてありがとうございます。

鉛筆と消しゴム。
まったくちがう仕事をして、まったくおなじ目的で。

みんなしっている。

いいところっていうのは、わるいところの裏返し。
わるいところっていうのは、いいところの裏返し。

いやまあ単純な反芻もたまには必要なこともあるくらい迷ったり。
そんな単純なことが複雑にからみあっているわけだから、
慎重になったり、やけになったりするだろう。

からまったのを誰かがやってくれるかと、ほうっておいたり、
気付けば誰かが跡形もなく、もとに戻していたり。
そんなことをなんども繰り返しているうち、
やっぱり自分でできるかもっておもってしまった。

複雑にだんご結びしたものでも、誰かはほどける。
だらだら時間はかかるけれど僕だってそうなんだ。
それから、いろんなことがおもしろくおもえる。
いつもほどき方はわからないけれど、
いつもほどけることはわかっている。


今日もよんでくれてありがとうございます。

無視をした。
嫉妬した。
いまではきみに、憧れている。

はかれないはかり。

今日はアトラクションな1日。

久しぶりに地下室のライブハウスの空気を吸った。
重い空気を切り裂く音だとか、
気だるいバスドラの音とか、
良質なその場かぎりのメロディーとか。

やっぱりあの場所にまた立ちたいと思える
魅力的な場所です。とても。

ありきたりなテーマでも、
使いふるした常套句も、
誰もしらない魔法になったりする。

それを繋いでコーディネートしているせいらちゃん。
すごいね。
「ひかりをすくう」

名前の知らない聞いたことも見たこともない
バンドの歌を聴くのはすごく新鮮で。
おもしろかった。

指原おつかれさま。


今日もよんでくれてありがとうございます。

すきでもきらいでもないものだけが
ずっとそばにいられるから。

オムライス。

オムライスを作った。
どちらかといえば、たまごはかたいめがすき。
ケチャップライスでくたっとしているのがいい。

オムライスはおいしい。
どこの店に行っても、
誰かに作ってもらっても、
違うものになっているのがおもしろい。
それでいて、たいていどれもはずさずにおいしい。

オムライスと生姜焼きは正義だ。

小学校のころ、夜のテーブルの上にはよく、
大きいお皿いっぱいに盛られたオムライスと、
キティちゃんのお皿のオムライスがならんでいた。

順番にレンジであたためたあと、
テレビを見ながら静かにたべた。
たまごはかたいめで、味は薄かったとおもう。

それもきっとおいしかった。


今日もよんでくれてありがとうございます。

ごはんがおいしいと感じたら、
いまはそれだけでしあわせの証明。

ゆたかでいる。

世界史の勉強で最初のページのほう、
まだ1学期の頃に文明について学ぶ。
川のそばにひとが集まって暮らしている。

彼らは治水に苦労したそう。
でも川が氾濫するから豊かな土壌があって、
たくさん作物が育ったりしたんだって。

笑ったり泣いたり怒ったり。
いろいろな氾濫のあとで、なにを育てるかって、
あんまり意識しないけれど、すこし考える。

コントロールできない怒りもたまに、
ついついにやにやもたまに、
おもわずなみだもたまに、
そのあと誰か、自分が耕すことになっている。


今日もよんでくれてありがとうございます。

また、遠慮しないで、あふれてみたら。

みるときく。

好きなひとを聞こう。
好きでないひとを聞こう。
好きなひとを見よう。
好きでないひとを見ない。

そんな気がした。

聞くことは尊敬で、
見ることは愛情らしい。
言うことはなんだろうか。

会って話がしたい、というのは素敵なことなんだろう。


今日もよんでくれてありがとうございます。

またつまらないことも、ただおもしろいことも、
きいていれば、みてもらえる。

いつでもやってくる。

ゆれた。

パソコンに向かって作業していると、揺れた。
こないだの関東のとはもっと小さいけれど、
やっぱりこわいね。

日本で生きて生活する以上、避けては通れない。
まだ4半世紀しか生きていないのに、
もう大きな震災を2度経験してる。
あと4回も経験しないといけないと思うと、
奈良に帰りたくなるなあ。

とはいえ高校生まで住んでいた実家は古い家で、
ぼくがご飯を食べるポジションの上には、
別にそんなに使用頻度の少ない工具が曖昧に刺さっていて、
ある日1人で食事中に震度4くらいのときは死を感じた。

家自身がものすごく古くて年季が入っていて、
地震がくるまえに「ばきばきっ」と柱が軋んで、
いまからくるからねーと教えてくれる調子だった。

昔の作りの田舎の家だったから、大家族の名残で、
誰も使っていない部屋がいくつもあるくらいだだっ広くて、
大きな庭と、日当たりの悪い縁側が自慢の家だったんだとおもう。

住んでたぼくも、入ったことのない部屋もあるからなあ。
邪魔にもならんから、いにしえから放置された思い出の品が、
ゴロゴロとあちこちに散らばっていた。
1番の戦利品は500円で100万貯まるのカン。

ぼくもよく付き合いのある母親の親友が神戸で被災した。
起きたら火の海で、飛び出した外の犬小屋は空っぽ。
途方もなく列をなして線路沿いに奈良へ歩く。
きれいに並べられた無数の影にも慣れたって言っていた。


今日もよんでくれてありがとうございます。

あしたがないということも、
きょうがあるということも。

よくわらうひと。

完璧な寂しさをもった美しさも素敵だと思う。
だけど、ちょっとダサいかっこよさには敵わない。

永遠に戻ってこれないのは写真に。
常に自分で育てていくのは音楽に。
いつか誰かに育ててもらうのは家具に。

こめる気持ちはそうやって違う。
考えればそういうふうに区別していた。

今年は沖縄に行くことが目標。
あとは楽しそうなひとになることと、
たくさん笑っていること。
全部叶えてやるんだ。


今日もよんでくれてありがとうございます。

大きさがない好きをみつけたら、
ほんとうにぼくはまた、むきあえている。